面と向かって岐阜での一件を持ち出されるよりは良かったかもしれない。
自分の出生はわかったワケだし、暴行を受けた張本人がサッパリ気にしていないのだから、こちらからわざわざ話を蒸し返すような事をすべきではないだろう。
ただ、やっぱり納得したわけではないけれど。
「詩織ちゃんはね、ちゃんとした真面目な学生さんだったの」
岐阜で店を構える綾子はそう言っていた。
母は真面目な学生という言葉とはかなり縁の遠い存在だと思うのだが、もしそれが本当だと言うのなら、なぜ私などが産まれてくるような状況になってしまったのだろうか?
煎餅の音がバリバリとうるさい。
所詮自分など産まれてくるはずのない存在だったのだと、そんな冷めた感情と共に母の受けた状況も気になり、それらが混ざり合って胸の奥に重い蟠りを作る。
目の前で、母は相変わらず笑っている。
お母さんにとっては、もう終わった事なんだ。これで、私が高校を卒業して自立してしまったら、もう母にはまったく過去の出来事になってしまうのだろうと思うと、もはやグダグダと質問する方がバカらしく思えてきた。
終わった事だ。
そう言い聞かせると、何も母に掛ける言葉が見つからず、結局美鶴は黙ってシャワーを浴び、自室へと篭ってしまった。
悩んでるのが馬鹿みたいじゃん。
ベッドにゴロンと横になり、ウンザリと目を閉じた時に携帯が鳴った。
霞流さんか?
だが、相手先の名前にドッと疲れを覚える。この期に及んでも霞流を期待してしまう自分に呆れながら電話に出た。
「やっほー、もう家に着いた?」
ツバサだった。
「ずいぶんとご機嫌だね」
相変わらずの嫌味にも臆する事なく、ツバサはケタケタと笑う。まるで、数時間前の会話などなかったかのようだ。
「美鶴もさ、少しは自分の気持ちを出してみなよ」
胸にチクリと何かが刺さるのを感じながら、美鶴は務めて素っ気ない言葉を口にする。
「何か用?」
「うーん、用って言うか、ちょっと言い難いんだけどね」
珍しく言葉を濁し、だが結局は用件を述べる。もともとお願いするつもりで電話をしてきたのだから、こういう場合は言い難くっても言うのが常だ。
「明日ね、私と一緒に滋賀に行かない?」
「はぁ?」
美鶴は本当に目を点にした。
滋賀へ行くという事は、つまりは学校を休むという事になる。悪く言えばサボりだ。親に言えば許されないのは当たり前で、ちょっと悪智恵の働く高校生ならば、親に嘘をつくくらいは考えるだろう。
だがツバサは律儀にも親に告げた。
「私だってさ、親に嘘ついちゃおうかなぁ? なんて事ぐらいは考えたよ」
だが、事はそううまくは行かないらしい。
母親の方から、月曜日に教員への託けを頼まれてしまったのだ。頼まれごとを果たす為には学校へ行かなければならない。学校へ行けば滋賀へは行けない。
「朝だけ学校に行ってすぐに抜け出したとしても、そうなると授業に出席しないからサボりがバレちゃうかもしれないでしょ」
「体調不良で早退にでもすれば?」
「心配した誰かが自宅に電話でもしてきたら、すぐに親にバレちゃうよ」
そもそも、親に黙って学校を休むにしても、体調不良を理由にしようとは思っていたのだ。だがその場合も、やはり誰かが心配でもして見舞いになど来られては嘘などすぐにバレてしまう。
「こういう学校だとね、子供にその気がなくても親が見舞いを強制したりするのよ。そういうので縁や借りを作るのね」
嫌な縁だな。
「それにね、お兄ちゃんを探してる事、親には絶対に知られたくないんだ」
なぜだ? 親だって捜しているはずだろうに?
だが美鶴がその疑問を口にする前に、ツバサが事を説明し始めてしまった。
「だからさ、サボりがバレて親に追求されるくらいなら、休む事はちゃんと親に告げておいた方が後々揉めなくて済むのかなと思って」
「で? 親は了解してくれたワケ?」
「条件付き」
「条件?」
ツバサの親も、当然最初は反対した。学校を休んで滋賀などへなぜ行くのだ。
ツバサはしおらしく答えた。
唐草ハウスで生活している子供の一人の身内に会いに行ってくる。
母親は訝しんだ。
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